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モダンなセラミックの落ち着いたトーンとメタルの輝きが、ラグジュアリーにファサードを演出します。書体を選んでお好みのデザインにできます。 生産国:日本 素材·材質:タイル·ステンレス 商品サイズ:W180×H180×D8mm、タイル:W175×H175×T3.5mm 重量:約680g 仕様:サイズ変更:不可

モダンなセラミックの落ち着いたトーンとメタルの輝きが、ラグジュアリーにファサードを演出します。書体を選んでお好みのデザインにできます。
※こちらの商品はタイルの性質上、商品画像とお届けの品の色柄に若干の違いがございます。
※商品画像はシミュレーション例になります。
●ボルトなど取付用のオプションに関してはシュミレーション時に製造メーカーへお問い合わせください。

サイズW180×H180×D8mm、タイル:W175×H175×T3.5mm
個装サイズ:25×25×7cm
重量約680g
個装重量:1680g
素材·材質タイル·ステンレス
仕様サイズ変更:不可
生産国日本






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読む与論島
  • 森崎 和江: 『与論島を出た民の歴史』

  • 池田 福重: 『無学日記』
    昔の島人の自然交流記。
  • 竹下 徹: 『ドゥダンミン1・2』
    近代与論知識人による痛快エッセイ。
  • 菊 千代: 『与論方言集』
    美事なゆんぬふとぅば集。
  • 野口 才蔵: 『南島与論島の文化』
    与論初の本格的与論島考察。

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が提供する

1. what does the tattoo pattern mean?

 whether you have tattoos or not, you've probably been fascinated by the beautiful designs of "tribal tattoos". and even if you didn't care about the meaning of the pattern, you've probably wondered what it means.

2. revealing the pattern of the ryukyu islands' tribal tattoo,  “hajichi”

 this book unravels the meaning of the hajichi pattern, one of the tribal tattoos. at least until the end of the 20th century, there were women with tattoos on the islands of the ryukyu. the patterns vary so much that it is said that you can identify an island by looking at the hajichi.this book reveals the significance of almost all of the recorded patterns.

3. why it can be revealed.

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i am from yoron island in the ryukyu archipelago and have been exploring the prehistoric spiritual history of these islands. the results of this research are included in “coral reef wild thinking” (『珊瑚礁の思考』2015, fujiwara shoten). the ryukyu islands are rich in myths, rituals, and customs, and have remained a fascinating fieldwork site for folklore and anthropology.( levi strauss also makes a small reference at the beginning of "wild thinking") just as it was the ainu in the north and the ryukyu islands in the south that left behind tribal tattoos in the japanese archipelago, the ryukyu islands leave clues to explore the minds and thoughts of prehistoric times.

 in this exploration, i noticed that totems, spoken of in myth and folklore or preserved as the names of patterns, were represented in shell mounds and ruins. i have confirmed this in the ryukyu islands.

 i must emphasize that this is very different from what we have been taught, but a shell mound is not a dump site(or kitchen midden). rather, shell mounds and ruins were sanctuaries to connect with totems.

4. metamorphosis into butterfly-person

 if we can decipher the shell mounds, we can find the totems. totems have changed over time, as they have been updated by prehistoric human's changing views of life. thus, from the deciphering of the shell mounds, we can create a totemic timeline. surprisingly, it corresponds exactly to the pottery timeline.

 in this totem timeline, the hajichi was born when the "spirit soul" concept arose late in the plant totem stage.at the plant totem stage, the human body is thought to have metamorphosed from a particular plant . therefore, the human body is a plant body. and just as butterflies are born from plants, butterflies were carved into the bodies of plants. that is the "hajjichi". the spirit was thought through the medium of a butterfly!(you may recall " psyche").

 if you read this book, you will understand the meaning of the patterns of the hajichi.

 you will see not only the meaning of the pattern, but also the world that was with hajichi. that is to say, we get a glimpse into the minds and thoughts of the prehistoric people at that stage in their lives.

5. some examples

 let me give you an example. the pattern marked on the ulnar stapes on the right hand is a peculiar design that is often similar in the islands, but this represents a butterfly (called a "five-star" on the okinawa island).

 the pattern on the wrist at tokunoshima island is also easy to recognize. this represents their spirit butterfly, “ishigake-cho(cyrestis thyodamas)”.

 if we shift our view outside of hajichi, the artifacts unearthed from shell mounds and ruins at this stage are eloquent. the artifacts that have been called "butterfly-shaped bone object" represent butterflies. this is from the murokawa shell mound, and the spirit butterfly is thought to be a “namiageha”(papilio xuthus).

6. entrance to the world of the prehistoric mind

 this book is focused on the hajichi, so you can certainly get to the meaning of the pattern. however, the number of pages is limited, so the details of the decipherment have to be given away separately. i will eventually develop this as a "totem-metamorphosis hypothesis".but you can stand on the threshold of the world of the prehistoric minds that were thinking in totems and metamorphoses.

7.it's in japanese but full of illustrations

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 but in this book of about 100 pages, the right page is the text, but the left page consists of illustrations of “hajichi” hands, plants, butterflies, larvae, pupae, shells and archeological relics. so, at least the plants and butterflies that the pattern represents can be understood without having to read the text.

 i would be very happy if you could find out the origin of the hajichi design along with these illustrations! and i would be even happier if you got to know the ryukyu islands as more than just a beautiful coral reef resort.

 


 

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『映画 想像のなかの人間』(エドガール・モラン)

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私たちの用いている意味では、この二つの概念は同一のものとはいえない。それは不幸にも私たちが非常にしばしば擬人化=擬物化という言葉を用いるように強いられているという理由からである。トーテム動物、たとえばボロロ族のオオムは、人間の擬物的な定着物である。全く本心からオオムの真似をする(それは第一に人間の働きかけによりなされるが、たんなる演技ではなく、鳥との同一化をめざすものなのだ)原始人は、祭において模倣しつつ、自らをオオムだと信じかつ感じているのである。同時にトーテム動物のオオムは擬人化される。それは祖先であり、従って人間なのである。だから、人間を事物の世界に類似したものと感じ、世界を人間的属性の相において感じるこの擬人化=擬物化の働きとの関係において、私たちは魔術的な世界を理解しなければならないのである。

 レヴィ=ストロースのトーテミズム批判以前に書かれた文章は伸び伸びしていていい。モランは、ふたつの言葉に強いられているという書き方をしているが、それでも変身と分身の区別は重要だ。わたしの考える「生命の源泉」としてのトーテムは、この擬人化と擬物化が同致するところにある。そしてトーテムからの変身態としての人と、人の行う分身への変身とがある。ここでは分身は人ではなく、トーテムの変身態としての他の生命態になる。

 モランによると、「融即はあらゆる知的な働きのもとにあり、その働きを支えている」。だから、レヴィ・ブリュルのように「前論理」「神秘的」と他者化しているわけではない。この点では、現代人と未開人を区別しないレヴィ=ストロースと同じ態度だ。けれど、「生命の源泉」としてのトーテムという考えは、いささか「野生の思考」を知的な方へ寄せすぎたレヴィ=ストロースより、モランに近しい。あるいはそれは、「未開人」と「原始人」の違いと言ってもいいかもしれない。

 映画は、「融即の夢の偉大な祝祭」というコピーもとてもいい。

 

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 副題に「国民年金納付率と参与観察をもとに」とあって、「国民年金」の話ならと避けそうになったが、読んでみるととても面白かった。

 具志堅によると国民年金納付率の低いワースト10の自治体はすべて「沖縄」(奄美を含む)が占めている。これは都市化や経済的格差が原因とは見なされない。そうでないとしたら何か。ここで具志堅は、「夫来という時間意識自体が未成熟なのではないだろうか。そのために未来へ投資することが了解不能なのではないのか」という仮説を立てる。国民年金の納付率は、「沖縄の社会に横たわる非時間性を露出させてしまった」のだ。

奄美諸島から八重山諸島にいたる沖縄の社会は、非時間性を内包した社会であるというこ とがいえるであろう。そのために、未来という時間意識の形成は、未成熟なままにとどまっているのである。

  たとえばバス停では、

地元の利用客たちは行列を作らずベンチで待っているだけだった。通常、並ばずともそれなりの秩序があって、先に乗る者、後に乗る者が暗黙のうちに決定されている。この日は長蛇の列がすべて乗り終えてから、地元客が乗った。

 「白保の旧盆行事」でも非時間性は露出する。

獅子はメタモルフォーゼのための媒体であった。獅子に入るとき、彼らは変身する。獅子を通過することによって、日常性から非日常性の存在へ変身するのである。

 エイサーもそうで、「国民年金納付率の低い地域ほど芸能としてのエイサーの〈切れ〉は鋭く深いのである」。「エイサーという芸能が来訪神信仰を根強く残している芸能ではないだろうか」。

 わたしには、これはどれもそうだと思えた。それと同時に短めの文章でもあり、飛躍も感じられる。ただこれは批判ではない。わたしもよく「飛躍」を指摘されるが、飛躍しているつもりはないので小さく驚くことがあり、具志堅の物言いがわたし自身の飛躍を照らしているように感じられてくる。言ってみれば、飛躍は非時間性への即接続のことだ。

 この小論は、彼我の距離を言い当てていると思う。これは「近代の側から沖縄が語られるのではなく、沖縄の側から近代を語る試み」ともされている。「沖縄の側から」というのはわたしもそうだ。わたしの場合、「沖縄の側から」彼我の距離を無化する言葉を探っていると言えばいいだろうか。

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 レーン・ウィラースレフは、現地人が「人間と相互作用するように精霊とも相互作用するのだと主張するときに」、人類学者は「彼らは隠喩に溺れている」と解釈する。「彼らの話は通常の語りとして扱われるべきではなく、象徴的な言明として理解するべきだとされる」。現地人が「精霊に関して文字通りの真実だと考えているものを、本当のところは比喩的にのみ真実なのだと主張している」と、指摘する。

そうした二元論を基盤に、精霊は現実には実在せず、現地の人々の想像力のうちでのみそのように構築されているのだとして、我々は安堵するのである。

現地の人々の主張を、概念装置や隠喩だとして単純化するこの手の分析上の企ては、人類学の領域では今でも健在である。実際のところ現代のアニミズム研究のほとんどは、こうしたデュルケーム的な主題の変奏なのである。

 この辺りは、レヴィ=ストロースのトーテミズム言説批判を思い出させるし、著者にもそれは自覚されているだろう。

文化相対主義の主張は、西洋の認識論が土着の理解に対して持つ優位性の基盤を切り崩すのではなく、実際にはむしろ改めて強化するのである。

 ここにもレヴィ=ストロース流が反響している。けれど、「隠喩モデル」を離れようとするところ、レヴィ=ストロースも批判の対象になっているようにも見える。

 他方で、近年の人類学の文献では、「先住民のアニミズムは、西洋社会が失ってしまったとされる世界や他なる存在との根本的な親近性を表象するようになる」とも言われている。

 このことを意に留めると、人類学、でなくてもいいのだが、だれかが「トーテミズムを真剣に受け取る」ところまでもう少しなのかもしれない。

 

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 「モーアシビからエイサーへ」。与論でもはまるで自然発生であるかのように定着したエイサーを面白く思っていたが、「モーアシビから」、なるほどそういうことだったのかと合点した。

 それとは別に驚かされたのは、鳥越憲三郎が鳥居の建立を提言したことだった。島にある不似合いに巨大な鳥居は近代の傷痕のように見える。しかし、それは「鳥居を立てることによって、神殿もない御嶽が壊されるのを防ごうとしたのである」、「鳥居を立てるという、一見同化主義を思わせるやり方が、結果的には琉球神道(御嶽信仰)を守ったのである」。

 まだ原典に当たっていないが、もしそういうことなら、苦々しさが和らぐというものだ。ないものねだりは分かっているが、「方言」もそういうようにやれたらよかった。共通語の習得を方言の禁止なしに行えれば。共通語を習得することが、方言を守ることだという筋道で。鳥越の発想はそういうことを気づかせる。

 もうひとつ、立ち止まらせたのはこういうくだりだ。

 南洋に恋い焦がれたゴーギャンがタヒチの男を描けなかったように、また疫病により人口が三分の一にまで減少して苦しむタヒチを描くことができなかったように。そして未開社会へ向かう文化人類学者たちが、悪霊と戦う神がかりの女性の「参与観察者」として留まり、客観的な合理主義的視点を外すわけには行かない為、呪術に生きる神女の思考を内在的に辿ることができない姿にも似ている。「内側からの眼」の不在である。

 ここは、まだこういう声を聞くことはできるのかという小さな驚きがあった。ちょうど先日も、あるイベントで、本土に持ち帰る研究に対して、ときに白々しくときに厳しい眼を向けていると発言したばかりだった。それは引用のような自問のかけらもない壇上の人の発表に呆れたからだった。

 もちろんわたし自身にしてもそうした視線を向けられる側面を少し持っている。そこでは普遍性に至る深度があるかを自分に問うが、それでも『ハジチ』に取り組んだとき、これは書いていいのだろうか、島の秘密ではないかとためらう個所があった。

 他方で、人類学者のインゴルドが「他者を真剣に受け取ること」(『人類学とは何か』)と書いていて、まだしてなかったんかいと突っ込みを入れたくなったが、こと琉球弧についていえば、現在では「内側からの眼」がすでに希薄化していて、島の自然のように鮮やかなネタを提供するフィールドではなくなりつつある。そこでは、観察される側も、変換の果てのような状態しか見せられない。このとき「参与観察者」が、ともに探究を行う参与の形がありうるのではないかと思う。

 本書では、刺青の消滅についても触れられている。

 刺青の習俗が廃れていった大きな理由は、時代に目覚めた女性たちの意識の変化が介在している。刺青習俗への禁止は、生活習慣の合理化という近代化政策としての要素も大きい。女性が刺青をするには、大変な苦痛を伴った。場合によっては、術後1ヶ月間も手が腫れて仕事ができなかったという。すべての沖縄女性が、喜んで刺青を彫っていた訳ではないのである。「針突をしていないと、ヤマトへ連れて行かれるよ」と脅されながら、彫っていたのが実情である。近代に入り、自分たちの習俗を相対化する眼を獲得した女性たちが、刺青を彫る必要性について疑いを抱きはじめたのである。

 同様に、映像記録のなかでも、嬉しくて見せに行ったという女性の述懐を見ることができる。彫る彫らないの選択の前に、彫った女性のその後に消失への過程は胚胎している。比喩的に言えば、人見知りは他者の視線を過剰に意識する。方言を喋れることは見えないが、刺青は視線に晒される。辛かったろうと思う。

 モーアシビする女性の手にも刺青はあった。モーアシビを継承するのはエイサーだけではきっとないのだと、本書を読んで連想が広がった。

 

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 arneは、ドゥナン(与那国島)の豊年祭(uganfututi)の二日目、お供え物を入れるお盆には、「カニとニンニク」だけが入っていると書いている。

 カニ(grapsus tenuicrustatus (rock crab/lightfooted crab))は、オオイアワガニやミナミイワガニと見なせる。

 この二つの供え物をトーテミズムとしてみると、オカヤドカリを表している。

 ニンニク(hiru) -         シャコガイ(gira)  - 宿貝

 オオイワガニ・ミナミイワガニ - クモガイ - ヤシガニ - オカヤドカリ

 この本のなかでは、ニンニクとカニ、そして同等のものとしてクモガイが指摘されているだけで、シャコガイとヤシガニは、貝塚や多良間島の習俗を参照して加えたものだ。

 ドゥナンでは、スナガニを「ニンニクの体」と呼ぶことも上記を暗示している(not surprisingly, the dunang identify the species as the garlic body,hirumi.(p.69))。

with habitual access to marine and terrestrial crevices, crabs have been allotted the role of intermediaries in the task of accessing the nirabandu (nirabansu). this is the realm of the female spirit to whom the fuzzy function of playing a part both in the joy of births and the horror of deaths has been ascribed. an elderly shrine steward, the tidibi of the ndi shrine, stated the point. the spirit is passionately attracted by the crabs.(p.71)

海や陸の隙間に入り込む習性のあるカニは、ニラバンズ(nirabansu)にアクセスする仲介者の役割を割り当てられている。これは女性の霊の領域で、誕生の喜びと死の恐怖の両方を担うファジーな機能が与えられている。ンディ御嶽のティディビと呼ばれる年配の宮司さんがこう言う。霊はカニに熱烈に惹かれている。

 奄美大島などでは、生児の頭にカニを這わす儀礼が行われたが、オカヤドカリ(アマム)トーテムの段階では、子はカニの化身態としてある。だから、カニはニラとの仲介者でいるわけではなく、子の生命の源泉に位置する。それが「霊はカニに熱烈に惹かれている」という意味だ。


but, then, what do crabs or garlic symbolize? this, perhaps, would be a commonsensical way of meeting another culture from the vantage point of our own assumptions of mental representations, favoring a one-to-one type of fixed relationship rather than a part-to-part relationship in horizontally or vertically bound semantic fields. what in the felicitous lévi-straussian phrase would be a science of the concrete can be shown, for the dunang, to work in favor of both a shared understanding of nature and a shared experience of ethics quite without any analogies brought into play between humans (or categories of humans) and species in nature.no dunang woman or man whom i met think that garlic and crabs are mystical species deserving of continuous attention. they are not sacred species, and they may not connect with definable “beliefs.” they are not divine messengers in crustacean guise. nonetheless, garlic and crabs are culturally authored simulacra. and they are tell-tale impressions taken from nature, eminently serviceable for society ethics.(p.74)

しかし、カニやニンニクは何を象徴しているのだろうか。これはおそらく、私たち自身の心的表象の前提から異文化に出会うための常識的な方法であり、水平または垂直に結ばれた意味領域における部分と部分の関係ではなく、1対1のタイプの固定された関係を好んでいるのだろう。レヴィ・ストロース的な表現では具体の科学となるものが、ドゥナンの人々にとっては、人間(あるいは人間のカテゴリー)と自然界の種との間に類推を持ち込まなくても、自然に対する理解の共有と倫理の経験の共有の両方に有利に働くことが示されている。それらは神聖な種ではないし、明確な「信念」とは結びつかないかもしれない。それらは甲殻類の姿をした神の使いではない。それにもかかわらず、ニンニクとカニは文化的に作られたシミュラクラ(模造品)である。そして、それらは自然から得られた、社会の倫理に大いに役立つ印象的なものだ。

「自然界の種との間に類推を持ち込まなくても」というのはその通りだが、ニンニクとカニは「文化的に作られたシミュラクラ」ではなく、トーテムの化身態で、オカヤドカリ(アマム)を表したものだ。この対が供えられるということは、成人儀礼を意味していたと考えられる。

 

 追記。与論では、ニンニクはピル(piru)と呼ぶが、この言語的(生命論的)な由来が分かったのは収穫だった。

 

 

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 「土偶」という縄文時代の遺物の由来を自然のなかに求める点で、著者のアプローチには親近感を持った。

 ここでは、「土偶は食用植物と貝類をかたどっている」という竹倉の仮説に、わたしの仮説を対置させておきたい。

 「土偶」は生命の源泉としてのトーテムと人を同時に表す「トーテム-人」像である。「土偶」だけでなく、土器も石器も、加工された貝も自然貝も「トーテム-人」像である。さらに、遺跡や貝塚も「トーテム-人」像である。

 ここからみると、土偶が「食用植物」であることは、植物がトーテムである段階に相当する。ただし、「食用」か否かではなく、先史人が「生命の源泉」として捉えたかどうかが問われる。同様に、土偶が「貝類」になるのは、貝がトーテムである段階になる。それは、竹倉が挙げている土偶と植物や貝と必ずしも一致するわけではない。時代がくだるにつれて「トーテム」と「人」のあいだの観念は複合的になるから、「植物」や「貝」などの他の動植物や自然物が「トーテムー人」像に溶かし込まれることはある。それが、土偶や土器、遺構の形態を複雑にする一因になるが、そのなかには竹倉が退けている「地母神」や「精霊」のイメージも入ることになる。

 縄文時代の痕跡が示すのは「トーテム-人」像として一貫しているから、「土偶」の出土しない琉球弧を主に見ている場所からも「土偶」の位相を捉えることはできる。竹倉が紹介している土偶のなかには、その「トーテムー人」像を把握しているものもあるが、琉球弧の遺跡・貝塚から立論しているさなかなので、土偶に言及するのはもう少し準備を整えてからにしたい。

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 接近しては離れる、を繰り返す本書の立論をとても面白く読んだ。

 

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 この本の写真を提供している田附勝は、蓑虫山人の絵をこんな風に書いている。

縄文時代というものに興味を持っていたのだけれど、幕末から明治に移り変わる激動の時代に、こんな温かな絵を残す絵師がいたのかといたく興味を持ってしまったのだ。

 これはその通りの印象だった。「幕末から明治に移り変わる激動」というと、まさにステレオタイプな人物像や時代描写がお馴染みだが、それと接しつつも、気分としてはかけ離れたのびやかで優しい生が浮かんでくる。こんな時代のくぐり方があったということにほっとする。

 「放浪」や「乞食」は定住と生産を背景に置くから出てくる言葉で、言ってみれば蓑虫山人は移動する絵師だった。その人は縄文期の遺物に惹かれ、土器を花瓶のように使ったり土偶をいつも懐に入れたりと身近に置いていた。考古遺物を披露する「神代品展覧会」まで開いている。そのうえその人があの遮光器土偶を発掘したのかもしれないともなると、「激動」の時にひょっこり現れた縄文の人という風にも見えてくる。

 実際、籠だけで庵をつくり、「天井のない変な帽子」をお気に入りで被り、蓑虫山人というあだ名で呼ばれる。絵は正確というのではなく、誇張や心象が混じり、嘘か本当か分からない言葉や噂に包まれているとなると余計にそう思えてくる。偉人というわけでもないから、これまでこんな風にその足跡が丹念に辿られることもなかった。

 蓑虫には「六十六庵」という果たせなかった博物館構想があった。

 蓑虫の構想では、縄文時代の環状集落さながらに、中心に広場を作り、それを取り囲むように、「美濃庵」「豊前庵」と、六六の地域一つひとつの庵を建て、各庵ごとに地域の特産品や珍品、自慢の逸品、名勝を描いた絵などを展示するパビリオンスタイルだったようだ。

 この構想から刺激を受けると、ぼくがやってみたいのは貝塚・遺跡博物館ということになるだろうか。列島や島々で全体像の分かっている貝塚・遺跡を3dスキャンした再現模型をつくる。そしてそれをゴーグルをつけて観ると、先史人の見た多重なイメージが3d画像で浮かび上がる。それはひとつの土器、土偶や遺物であったもいい。先史人のこころのありようを覗き込めるようにするのだ。

 蓑虫山人から得たアイデアとして持っておこう。

 

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 久しぶりに松島さんの本を読んだ。こんなハードなテーマに正面から向き合い続けていることに、まずは敬いの気持ちを表したい。

 けれどここから先、独語のようになってしまうが、いつも感じるのは松島さんの優しい気持ちに、政治的な概念を被せると概念の連なりが優勢になって、まるで違う表情になるようなちぐはぐさを感じてならない。それは島人も標準語を使っている制約なのかもしれないと思うこともある。島人には、それにふさわしい語法と論理を編み出す必要があるのではないか。という困難を思う。

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 「自由」ということだろうか。ふつうの人が自由に振るまい表現し信仰を持てるという基本的な自由のこと。もちろん、松島さんも国家によって「自由」が著しく制約されていると感じればこそ、日本国家を批判する。そうであれば、この本は国家としての日本を批判すると同時に、帝国主義的な振る舞いを隠さない中国に対しても向けられなければ説得力を持たないのではないだろうか。この本が脱稿されたとき、「国家安全法」はまだ施行されてなくても、それは言いうることだ。

 もうひとつは、この本で詳しく触れられているわけではないが、琉球とはどこであるかということ。ぼくにとってもそれは切実だから、本土とのあいだに明確な差異を引くことができるのかという探究を続けてきた。そして、先史時代に遡れば、トーテムの段階においての違いを見出すことができた。それは時にトカラを含み、奄美から八重山まで共通している。おぼろげには本土のなかにも微差異があり、その向こうに北海道・アイヌとのあいだにも差異があることも見通しとして持っている。

 もちろん、「琉球」というとき、松島さんも奄美への視線は持っている。けれど、奄美北部での拒否感に会い、そこは自己決定権よろしく奄美の人に委ねられる格好になっている。けれどそこに問いは残る。奄美北部では「琉球」という言葉に拒否感があるが、それを解きほぐすことが琉球独立論にとって重要な課題だと思う。そこを自己決定権と投げて終わってしまえば、国家がやっているのと同じ、大は小を兼ねる、あるいは小の無視をなぞってしまう落ちになりかねない。

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のなかでは、触れられなかった紋様のバリエーションについて、気づくところを補足していきたい。

 ハジチ紋様のなかでもひときわ美しいのは、奄美大島のもので、本の表紙にもこれを使った。別に挙げれば下のも、この紋様のバリエーションになる。

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 どちらも食痕と幼虫を、チョウセンサザエ(ヤコウガイ)の蓋と枝サンゴで表している。下の方が、流線的な柔らかさがある。トーテム植物であるリュウキュウウマノスズクサを思い出させる柄だ。右手の塗りつぶされた紋様は食痕そのものだと考えられる。

 

 こちらの左手甲は、リュウキュウウマノスズクサの花。下に突き出たふたつのこぶは、花弁だと思う。

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のなかでは「タカラガイ」としているが、「ホーミー」は「イソアワモチ」ではないかという指摘をいただいたので、考えてみたい。

 この本のなかで、「ホーミー」を「タカラガイ」としたのは、そう聞き取りしているハジチ調査もあるからだが(例.具志川島教育委員会,1987)、もうひとつ、貝塚からもタカラガイは出土してもイソアワモチは出ていないからだ。ただ、「グジマとホーミー」を「ヒザラガイとイソアワモチ」とするのは、両者ともに岩場に張り付いているのだからとても自然な見なしではある。この場合、起点になるのは「ヒザラガイ」だ。ヒザラガイだから、対は姉妹のようなイソアワモチになる、というように。

 けれど発生からいえば、「グジマとホーミー」の対紋様は、「シャコガイとタカラガイ」とするのがその形態からは自然だ。二対は植物トーテムからいえば「花と蕾」であり蝶としてみると、「翅と幼虫?」になる。

 だから、問いは、「シャコガイ」が「ヒザラガイ」呼称に置き換わったのはなぜか、ということになる。

 この置き換えが起きるのは、カニ・トーテムの段階が考えられる。カニ・トーテムではシャコガイは大人貝でカニ腹部であり、タカラガイは子供貝でカニ鋏になる。ヒザラガイも子供貝でカニの鋏だ。ここからみると、タカラガイを鋏として見る視線に合わせて、左手の紋様を同じ鋏であるグジマ(ヒザラガイ)と見なしたことになる。両方の紋様とも子供のときに入れることになり、その意味はカニの鋏だった。

 経緯からいえば、カニ・トーテムの段階で、両方の紋様は、「グジマとホーミー」呼称になったと考えられる。

 


 

 

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 人間が、人間のみの世界の内側に閉じこもって、かなたにある人間の知性と能力をはるかに超えた外部の世界と出会っておくことがないのなら、私たちは私たちの行く末を、このまま永遠に見失ったままなのではないだろうか。逆に、こちら側からあちら側に抜けるための連絡通路を開いておけば、私たちはこちらとあちらを往還しながら、アニミズムが自然と立ち上がってくるだろう。

 ぼくもハジチの紋様を解読しながら、このことをつくづく感じた。ハジチを始めた人々は、人を人のみでは考えていない。人の向こうにトーテムである植物を、そこから生まれる蝶を、そしてトーテムからの化身態としては分身である貝とを同時に見ている。人はむしろ、それらの自然から照らされて像を結んでいる。

 文学、思想、アニメ、トレンド等のさまざまな角度からアニミズムが論じられた本書のなかで、トーテミズムとの接点はいたるところにあるが、「往って還ってくる」生死の運動もそうだ。もっともトーテミズムからいえば、これは、「還って、現れる」、もっと正確には「還って、予兆(予祝)され、現れる」ということになる。「この世」側ではなく、「トーテム(あの世)」側に主体は置かれるからだ。

 この運動を見るのには本書でも引用されている「メビウスの帯」がふさわしく、かつ、アニミズムからトーテミズムへの通路もつくりやすい。

 一回転半ねじってメビウスの帯をつくり、それを帯びの真ん中から切り抜くと、「三つ葉結び目」ができあがる。ところで、貝塚・遺跡の構造を見続けていると、「あの世に還る」「予祝する」「この世に現れる」という三つの運動が絶えず行われているのが見えてくる。この「還る」「予祝する」「現れる」という運動をひとつながりにイメージすると、立ち上がるのは「三つ葉結び目」なのだ。

 生と死以前に、トーテムと人との関係は、この「三つ葉結び目」のなかを絶えず歩む運動のなかで溶けあい確認されている。それはやがて、生と死を結ぶものとも考えられるようになる。このつながりあいの終わりは、「還る」「予祝する」「現れる」の場が分離によって表現されることになる。

 人間を人間のみの世界で考えない他との接点を持つということは、アニミズムへの回路を拓く。それは同時にトーテミズムの世界への通路でもある。

 


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 『ハジチ 蝶人へのメタモルフォーゼ』(喜山荘一)の発売を記念して、ハジチと紋様の由来となる蝶や植物、貝をビジュアルで表現したパネル展を開催しています。

 

会場:ジュンク堂書店 池袋本店4f

期日:2020【サイン本】ナインティナイン ゴチになります!3【貴重】1020 日~1130

 

 お近くの方はぜひ足をお運びください。

 山城博明(波平勇夫)さんの『琉球の記憶 針突[ハジチ]』写真展とも隣り合っているので、写真と解読をいっしょに楽しめます。蝶や植物、サンゴ礁の写真は仲程長治さんに依るもの。しびれます。

 


 

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『珊瑚礁の思考』を構想しているとき、ある伝承や習俗の理解が別の伝承や習俗の理解と脈絡をつけてつながるということが起き始めた。もうひとつ別の理解点が加われば面をなして、理解点が増えると面は次第に大きくなってゆく。もちろん、点の理解に間違いあれば、面は消えて線に戻るが、また次の点ができて新しい理解面も生まれる。こうしたことが次々と起きる感覚があった。それは今も続いているが、そうすると、あることにどのように気づいたかが分からなくなることがしばしばになっている。この本では、ハジチを蝶に結びつけて解釈しているが、それはどのような経緯だったのか。思い出してみたい。

 ハジチが霊魂に関係していることに初めて納得したのは、吉本隆明の「ファッション論」だった(『ハイ・イメージ論ⅰ』1989)。そこで吉本は民族誌の霊魂概念を辿りながら、入墨や身体の畸型化は人間の裸身が「霊魂の衣裳」と見なされたときに成立すると考えていて、ぼくはこれをハジチに引き寄せて理解した。ハジチは「霊魂のファッション」なのだ。

 『珊瑚礁の思考』では、「あの世」と「霊魂」の先後を考えることになった。それは吉本が『共同幻想論』でも明示していないことに思えていた。確定的には言いづらかったが、他界は霊魂に先んずるという理解を採った。「この世」と「あの世」の空間分割が先にあり、両者を行き来するものとして「霊魂」が思考されると考えるのが自然に思えたからだった。

 もうひとつ、霊魂観の系譜を辿ると、「霊魂」にはふたつの系列があった。ひとつは身体的なもので語彙として「呼気」や「体温などの熱」に代表される。もうひとつは影像的なもので頻繁に出てくるのは「影」や「水に映った影像」だ。棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態』に集められた民族誌例でもそれは確認できる。ぼくは生命を原形があってその変形として捉える霊力思考と知覚を通じて仕組みをつくる霊魂思考に関連づけ、霊力思考から感覚された「呼気」に対して、それとは別の霊魂思考が「影」などの映像的なものを通じて「霊魂」が思考されたとき、「呼気」ももうひとつの霊魂とみなされるようなったと捉えた。そこから、霊魂は種族の進みゆきによってひとつに統合される場合もあれば、数を増やすこともある。トロブリアンドのバロアはひとつとして語られるものであり、霊力の高い人はたくさんの霊魂を持つということは琉球弧でも言われる。また、マルセル・モースがマオリ族について述べた贈与の霊であるハウも霊魂観から接近できるのは分かった。「影」などの霊魂の発生と同時に「ふたつの霊魂」がセットされる。デュルケムが言う「霊魂とは、一般に、各個人の内に化身したトーテム原理そのもの」(『宗教生活の原初形態』)ということの内実も、ここから解きほぐすことができると思えた。

 『珊瑚礁の思考』はここまでの理解になっている。

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 ところでうかつだったけれど、『与論町誌』を見ると、1969年に行われたハジチの調査事例のなかで、左手の尺骨頭部は「アマン」で右手は「パピル」と聞き取りされているのを知り、とても驚いた。与論語のパピルは、琉球弧ではハベル、ハベラ、ハーベールーなどと呼ばれる蝶・蛾のことだ。パピルは島々で霊魂や死者の化身として語られている。やはり、霊魂はパピルであり、ハジチの右手首の紋様も蝶・蛾であるという見通しが立つ。

 そしてここ数年は考古学調査報告書を読み漁ることになった。貝塚や遺跡がトーテムを表すのに気づいたからだ。「遺構」や「製品」と呼ばれるものはトーテムやそれに近しいものを示している。それなら、ここに「霊魂」発生の痕跡を見つけることができるのではないか。そしてそうその通り、植物トーテムとサンゴ礁トーテムの段階で、トーテムだけではなく、蝶や蛹や幼虫が描かれ、作られているのが分かった。誰でも分かるサンプルでいえば、「蝶形骨器」がある。ここでは、どうやら「あの世」は「霊魂」に先立つと仮説できることも確かめられた。 

 ハジチと蝶のつながりは、思い出せばこういう順番を辿って考えていったことになる。このことは、小冊子では触れることができないので、備忘を含めて記しておく。

 



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 本書の関心は多岐にわたるので、メンタワイのタトゥーをみれば、インドネシアの自然を覗きたくなり、北海道の「中空土偶」をみれば、縄文後期の北海道のトーテムを調べに潜行したくなったり、セントローレンス島では関節部を魂の場であるという記述にぶつかると、琉球弧のそれとおぼしき痕跡のことに頭が行ったりと、考え込みたくなる誘惑を何度も抑えるのだった。

 BEAMS BEAMS BOY(ビームスボーイ)のファッション ストライプ ワンピース(シャツワンピース)|BEAMS ストライプ / BOY ボタンダウン ボタンダウン ロングスリーブタイトルの「縄文時代にタトゥーはあったのか」という問いに向き合えば、琉球弧の方からは、「あった」と回答することになる。20世紀末までみられた「ハジチ」の紋様は、縄文時代まで辿ってはじめてその意味を浮かびあがらせるし、ハジチをした理由についても、ローカルなものではなく人類的な必然を感じさせるのだから。

 面白いことに、ハジチを継承た琉球弧では、土偶はつくられなかった。他方、土偶を盛んにつくった本州弧ではタトゥーは継続することはなかった。幻視するほかない本州弧のタトゥーだが、それでも土偶は有力な手がかりになるのではないだろうか。

 私見になるが、土偶は、「トーテム-人(トーテムの化身態としての人)像」だ。身体の一部が欠けていたり、強いデフォルメを受けていたりすることがあるのは、よりトーテム像に寄せて身体像を思い浮かべるからだ。そこで、縄文でも終わりに近づくほど、土偶も人らしさが出てくることになる。

 土偶の模様は、そのままタトゥーの紋様とは言い切れない。けれど、琉球弧のハジチとトーテムとの関係を参照すれば、タトゥーとして見ていい紋様は解いていけるのではないかと思える。

 もし、土偶のない琉球弧でハジチが途絶えていたら、その紋様を復原することはできただろうか。そう問うと、そのハードルは極めて高いと言わなければならない。けれど、ハジチがなくてもトーテムは分かる。そして、ハジチと類似する貝や石器の「製品」もある。何より、トーテムである動植物や自然物は分かる。そして民俗。それらの複合のなかから接近していけば、ある程度の復元の可能性はある。タトゥーはタトゥーとしてだけ存在しているのではなく、トーテムや自然と分かちがたくつながっているから、人身体像にも接近していけるということだ。

 本州弧には、途絶えたタトゥーの引き換えのように、土偶が残されている。土偶の示すトーテムとそこでの世界観が分かるということが、縄文のタトゥーの図像の復元への通路だと思う。北海道へ行けば、アイヌという手がかりもある。

 「タトゥーや文様を未来に開かれたものにしていきたい」という本書のモチーフはぼくも共有するから、いずれ琉球弧の方からの応答をしたいと思う。

 

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